いつまでも自由に遊んでいたい。
それが本心。なんていう怠け心なのか。
自分で自分に驚いてしまう。
子供のころとは違う、大人になってからの変化だ。
いったい、なんなんだろう。
自分らしく生きるために、
どれだけ努力してきたことか、
でもそんなこと自分にとっては大きなことでも、
世間的には普通でしかないっていうか、
どうでもいいことの部類に入るんだろうな。
世界樹を眺めながら、
なんだろうなこの気分は、
と、かみしめていた。
気持ちの余裕があったほうが、
いつでもいいと思う。
気持ちが切迫していると、
どんどん言葉が浮かばなくなってしまうから。
好き勝手に語れるうちがましだよね、と思う。
薄れゆく記憶の中で、ほどよく忘れていくことの喜び、
そう、
そうなんだ、
ほどよく忘れていくからいい。
嫌なことからは痛みが薄れて、
楽しかった記憶だけが光り輝いていく。
眩しい光は強調されて、
影が濃くなってしまうけれど、
痛みと苦しみの度合いは軽くなっている。
「世界樹、知ってる?」
あのとき、かけられた言葉。
「うん。知ってる」
「いいよね、あそこ。わたし、たまに、ひとりでも行くんだ」
あそこ? 行く?
「行ける場所にあるの? 世界樹」
「知ってるんじゃないの?」
「知識として。世界樹と言われる存在が、世界のどこかにあるらしいって」
「それじゃ、まだ行ったことないのね?」
「はい」
じゃあ、ついてきて。
こっち、こっち、こっち。
階段を昇り、ゲートをくぐると、校庭からは見えなかった噴水が現れた。
「こんな場所、あったんだ」
「知らなかった?」
「見たことあるのは階段までで、その先にゲートがあるなんて思わなかった」